介護業はサービス業に分類されます。サービス業とは以下のとおりです。
売買した後にモノが残らず、効用や満足などを提供する、形のない財のこと
そして、世の中を見渡せばお金を払いいろんなサービスを受けています。
ところが、サービスによっては過剰とも思えるサービスもあります。
そして、その結果、私達日本人を苦しめることとなっていると言う考えです。
ドコモ社のahamo
先日、携帯料金の新プランが続々と発表されました。その中で先陣を切ったのがドコモ社のahamoという料金プランです。月額2980円で利用できるプランですが、条件がありオンラインのみの受付です。
https://www.nttdocomo.co.jp/info/notice/pages/210114_00.html
そして、この条件でこういう声が上がります。「オンライン受付ができない人にも安い価格で提供させろ」
正直、これがサービスの本質でしょう。安価なサービスには安価な対応を、高価なサービスには高価な対応を。
日本の企業はあっちがやるなら私達もという感じで横並びな部分が好きです。そして、消費者は喜びますが労働者は疲弊します。そして、いつのまにか海外に同じまはたそれ以上のサービスなのに価格で負けて企業が疲弊しています。
そしてドコモは昨年のことですが、ドコモショップにおける無料だった一部サービスを店頭購入以外は有料にすると。https://news.livedoor.com/article/detail/17360153/
「高齢者排除」という声もあるらしいですが、厳しい意見ですがお金を使わない人がショップにいては商売にはないということです。つまりお金を払った人がサービス受けられ、お金を払わない人はサービスを受けられない当たり前の姿になっただけです。

お客様は神様
過剰サービスを企業が消費者側へ付加し、消費者側が企業に求めるようになった原因の一つには「お客様は神様」という言葉があると考えます。
もともとは故三波春夫氏のインタビューから広まりましたが真意は以下のとおりです。
舞台に立つときは敬虔な心で神に手を合わせた時と同様に心を昇華しなければ、真実の芸はできない
そして、こうも言っています。
自分はすべての人をお客様だと思っているわけではない。ステージを見に足を運んでくださる人だけがお客様だと思っている
つまり、お金を払ってステージに来てくれた人をお客様であり、そのお客様の前では神様へのお祈り時と同様の気持ちで芸をするであり、お客様=神様という設定ではないのです。
いつのまにかお客様=神様という勘違いが広まり、それを逆手に横暴な客が現れ対応をする。対応をするからそれがスタンダードになり、段々と単価が安いのにサービスだけが過剰になって疲弊していったと考えます。
令和のスタンダード
平成が終わり令和は3年になりました。未だに安い価格で過剰なサービスをしている業界がありそれらがはびこるおかげで労働者は疲弊しています。介護も同様ではないでしょうか。

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