「プロ意識」、働いているとこの言葉を聞くことがあります。
この言葉のおかげで「あの人がうざい」「働くのが嫌だ」「口聞きたくない」と労働意欲が失せていく日々です。
しかし、その人がプロ意識を持ちプロと名乗るだけの偽プロかどうかを解説していきます。
自分を自己評価する
「俺は仕事ができる!プロとして当然。おまえたちも俺のように早くなれよ!」
まぁ、昨今ではこんな言葉を使って表現する人はそうそういないと思いますが、自分は仕事ができていると思ってアピールしたがります。しかし、も他人から見れば仕事を選んでいるだけで評価はされません。
私は利用者に寄り添っているから好かれている。
しかし、他人から見れば、あの人は利用者の言いなり、利用者に媚を売っているだけ。
このように自分の評価と他人の評価とでかなり違う人は偽プロです。そもそも、自分の評価は第3者に決定され社内でのポジションが決まっていきます。
仕事を選り好みして、自分は仕事ができる=プロと思っていても、社内では浮いた人になっていくだけです。
会社では、会社にとって利益が出る人=会社にとって必要とされた仕事をしっかりする人がプロであり、仕事の選り好みをして進めていく人は利益は出ない人ですから偽プロです。

他人に責任をなすりつける
偽プロさんは仕事がうまくいかないことをなぜかアピールするように嘆きます。そして、仕事がうまく行かないのは、他の人が邪魔をするからという他責思考に陥りここでもアピールしてきます。
利用者が私の事を悪く言うのは、あの人が変なことを吹聴したから
利用者があの人を褒めるのはあの人が媚をうっているから
例えば大半の事ができる利用者であっても、手が痛くて洗濯物を干してほしいと思っているのに「この人は自立支援でやらせないとだめ!」と自分勝手な理由で洗濯物を干すのを手伝わず、利用者のクレームで上司に怒られると「みんなが教えてくれなかった」「他のスタッフが甘やかしじぶんでやらなくなったから!」という責任は自分にないという思考になります。
もし、この利用者を知っていると自負するのであれば、普段から観察することで手が痛いという事を知り洗濯物干しをする動になっていきます。しかし、日々の観察を怠り周囲へのアピールすることしか考えていないから、状況を見落とし失敗します。
重要なのは失敗は誰にでもあるが、なぜ失敗した・間違えたのかを考えず他人の責任になすりつけることです。
他人の責任になすりつけておけば、そのときはやり過ごせたとしても、人間的には成長せず社会から置いて行かれるだけです。
武勇伝語り
俺は過去にこんなプロジェクトをやってきた!私は前の会社では売り上げを50%回復させたことがあるの!と俺様列伝をします。
あの利用者が歩けるようになったのは私が色々としたからなの!
しかし、利用者に携わる人はいろんな介護スタッフからはじまり、多種多様にわたります。そこに携わる一人の職員はその一部分にしか過ぎません。偽プロは自己中心で回っています。従い、うまく行ったときは「自分のおかげ」なのです。
では、周りが見えていないのかといえばそうではないです。偽プロの周りは、自分とは違い仕事のできない奴らばかり。成功者である自分の足を引っ張ってくるやつばかりで困るという見方をしています。
従い、他人がどんなに利用者に関わっていようとも関係なく、うまく行けば自分のおかげ、うまく行かなかったらアイツラが悪いという評価になります。

権力に弱い
「自分を評価」する項目で「媚を売る」と書きました。これは権力者相手にもそうです。
アピールをするのは何もお互いのスタッフや格下ばかりではありません。
権力者に対してもアピールをします。
うまくいけば昇給していきますが、アピール相手がうまく行かない権力者だと当然見透かされて評価は低い状態で推移していきます。
プロ意識を持つこと
お金を稼ぐ上で「プロ意識」を持つことは必要ですが必須だとは思いません。
色々と語ったように足かせとなるからです。
もし、偽プロになりたくないと思うのであれば、上記のような行動は控えることと仕事に対して次の意識を持つことだと考えます。
- 成果はなにか?
- 相手は何を求めているか?
- お互い価値があることはなにか?
これらを持ち続けていれば、意識することなく徐々に「プロ意識」は身についていきます。
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