先日の誤嚥のことについて、必要であれば取り組みを抜かずに組み立てる事が必要だと書きました。
実は、その後に別な方が援護射撃とばかりにか以下のエピソードを披露してました。
- 大腿部骨折で入院した居者が病院で誤嚥性肺炎と診断され絶食。
- お見舞いに行くと入居者から病院食に怒ってるのを知り、病院抜け出して寿司屋にて寿司を食べる。
- 日本酒も飲む。
- 病院に戻ったら看護師さんに怒られる。
当たり前ですが、否定的な意見もあったため、黙らすためか後追いで以下のエピソードを披露
- 外出届けは出していた
- もう10年前の話。
- 系列の療養病床へ転院して胃瘻の増設が決まりそうなタイミングだった
- 本人の嚥下機能を評価し、意思を確認して施設に戻す
後出しで事実を出すのであれば、しっかりと組み立てて出す必要があるはずです。
では、このようにあとから色々と出すエピソードは何が良くないのでしょうか。
真実性が欠けてくる
正直、このエピソードどこまで本当なんだろうという感じが拭えません。
もし、しっかりと伝えたいのであれば、後者の内容を組み込んで出すべきです。
しかし、おもしろエピソードして伝えたかったのでしょう。とりあえず、「こんな感じで俺もやっちゃったんだよなぁ、ははは」的に軽く捉えていたのがなんか少し雲行き怪しいから真実も出さないとなという感じでしょうか。
しかし、後出しにすると、言い訳に聞こえ、本当にそうだっとのかという疑問が芽生え、結局は何を伝えたいのかがぼやけてきます。

取り組みは地道な作業
介護のエピソードはミステリーや謎解きではないため、真実をあとに出す必要はないです。むしろ、取り組みの過程や経過を出していかないと、結論だけでは「?」となります。
利用者のやりたいこと、したいことを達成させるには、各署連携が必要となり地道な作業で一筋縄とは言えません。
私らも例えばダイエットでXキロ痩せたいと言っても即結果が出るものではないです。
ときにはうまくいかないことはあるでしょう。
うまくいかなかったなら原因を探り、再挑戦するか諦めるかという判断を本人がします。
自分のことなら自分が決断すればいい、だけど、利用者のことは違います。勝手な判断は許されないのです。
本当に伝えたいことなら
自分たちの取り組みに自身があれば、ただ単に「やりました!」「できました!」ではなく、こういう取り組みをした結果できましたのほうが、他介護に携わる方々にも参考になるはずです。
たとえ、否定的な意見があっても改善なものなはずです。
本当に伝えたいことなら、しっかりと組み立てた根拠のあるものを提示すべきです。
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