ツイッターを開設した頃、ある介護経営者の論争を知ることになり、その後も変なネタとかで度々迷走、
今回は、「世の中の大部分の『誤嚥』は嫌なもん食べているから起こる」とのこと。
論もそうですが、その後の返信に「短い文章で感情的に呟いただけなので…」と。
感情的な論ではただの場当たり的で、ただの押し付けになりかねないです。
しないではなくしにくい
この方のツイッターと見るとまずは攻撃的な文章ありきで、その後に過程が出てきます。
今回もまずは上記の「誤嚥』は嫌なもん食べているから起こる」、その後に根拠となるので出てきたんですが、そこには誤嚥しにくいものの一つに「好きなもの」、誤嚥しやすいものに「嫌いなもの」が載ってます。
しかし、誤嚥する/しないではなく、しやすい/しにくいという表現です。
その後に「誤嚥していても肺炎にならないってのを経験上、攻めている介護事業者は感じている」とも書いてます。
攻めるのは構わないですが、感情的に言うだけなら暴論でしかないですね。

感情で語ること
ここの代表者はまず動画、写真にしろまずはすごいだろう的な感じで出します。
ちょうど深夜のラーメン論争のときでした。
色々、問題あったのですが、特に病院でペースト食だった利用者が退院後に深夜にラーメンを食べるという、過程が見えなかったのでいきなり固形食ですか?という印象でした。
その後、メディアで取材で過程を踏んでいることを伝えてましたが、
本来だと「この方は病院でペースト食でしたが、退院後に嚥下評価をしてラーメンを食べれるようになりました。深夜という時間ですが…」のような説明が必要なはずです。
過程や説明を端折り、ただ単に言いたいことを思いつくまま感情的に伝えれば結果は自ずと知れます。
本当に伝えたいなら
私自身、論や取り組みを出すのはいいことだと考えます。
しかし、会社を代表しSNSを通じて必要だ!重要だ!と伝えるなら、過程やしっかりした根拠を提示することが必要だし、
この代表者が「いや、ここは俺が思うことをいう場所だ」というのであれば、正直、公私を分けて使うことが必要でしょう。
ましてや、感情的に伝えるだけでは、俺すごい、俺の案が正しいと押しつけにしかなりません。
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