先日、車イス女性が「JRで男駅員4人集め階段運んでと言ったら“乗車拒否”をされた。せっかくの旅行を壊された」というトラブルがありました。
この問題、そもそもどこにあるのかを考えてみたいと思います。

当日に思い立つ行動
この方の主観のブログではまず当日に思い立って調べずそこについてから考えればいいとの行動と記載されています。
車椅子の生活であることから制約が生まれる
行き先の場所(駅)の状況がわからない
行った先で対応してもらえればいいという考え
正直、行った先で考えればいいやというのは行動に無理ありすぎかなという考えです。
「あなた、厳しすぎでしょ!」というのであれば、車を持たない生活で以下の状況であれば雰囲気が近いと思います。
鉄道で無人駅に行き調べたら最終でした。困ったので鉄道会社に問い合わせ「なんとかしてくれ」と言うができないと拒否される。
この方は「乗車拒否」と大きく打っていますが、鉄道会社は乗車拒否をしていません。最終的には無人駅で対応しています。違うことをしたかのようにタイトルにしていますね。

なぜかメディアに連絡
鉄道会社で対応してもらえないとわかるとメディアに連絡しています。
この方の目的はなんだったのでしょうか。神社へ行くことと予約したレストランへ行くことではなかったでしょうか。状況がうまく動かないのであれば、行く先々へ連絡するのが普通です。しかし、なぜメディアへ連絡なのか不思議です。(もしかしたら、レストラン等へ連絡したのかもしれないですが)
10年前にも似たような行動を起こしているようなので、こういう対応をされたら取り上げて貰い騒いでもらうのが常套手段のようです。ここについてはあとに触れます。
根本の原因論
なぜ騒ぐのでしょうか。以下の3点に集約されると考えます。
- 不利な立場になると他人原因論をふりかざす
- 考え方・やり方が間違えている
- 頼まれてもいないのに自分が代弁者
不利な立場になると他人原因論をふりかざす
普通に生活していた時代は、自分で調べるなどの行動していたのが、急に不利になると「あれがないから」「あいつはうまくやっている」「政治が悪い」だのと言い出します。
今回はバリアフリー法をかざしていますが、法律関係なく調べれば問題は起きなかった、もしくは避けられたはずです。その上で鉄道会社が「乗車拒否」をしたならば大いに声を上げてほしいです。
考え方・やり方が間違えている
この方は別の日に動画で以下のように述べていました。
「本当に申し訳ないけど、どうやって考えてもらえるかなって思うと、申し訳ないけどこういう事を何回も繰り返すしかないんですよね。突撃したんだろ、狙ったんだろとか言われるけど、そうでもしないと考えて貰えなくて」
わざわざ騒ぎたてて考えてもらおうとする時点で間違えています。過去、このやり方で幾度もうまく行ったのかもしれませんが現在は違います。
頼まれてもいないのに自分が代弁者
障がいを持っている方の中に有名な方もいます。そして、メディアで色々と取り上げられています。しかし、その方々はいつから障がいをもった方々の代弁者になったのでしょうか。この方もそうですが問題があるのであればまずは訴える場所へ行くべきなのにメディアへ訴えます。有名なのでメディアへ訴えるほうが声が大きくなるからです。しかし、今回のケースもそうですが、この方法にも限界を迎えています。
メディアからSNSの時代へ
今回のケース、もし、時代が昭和や平成の前期であれば、鉄道会社は叩かれていたことでしょう。しかし、SNSに本人が流したことで逆に人々が思っていることが返ってくる時代になりました。ある政党とつながっていることも判明して、本人の思っているようには事は運ばなくなったと感じているでしょう。
今回のように本人の思惑とは違う方向へ進むのは、もう10年近く前にもなりますが、有名障がい者が階段しかないレストランへ入店を拒否された件あたりかなと感じます。
表向きは「手を取り合って行ける時代になれればいい」と言っている人間が、実はこういう人間だったというのを知らしめた一件だったと思います。

手間を惜しんだだけのこと
今回は、確認をする、連絡をする、誰でも普通にすることの手間を惜しんだために起きた一件です。
バリアフリー法があれば、障がい者はなんでも許されるのでしょうか。もっと言えば、道徳から外れた横柄な態度が許されるのでしょうか。今回の一件は障がいをもった一人の横暴な人間が、障がいを武器にして今まで許されてきた行動が明るみに出て来たことだと感じています。
障がいがあろうがなかろうが、道徳から外れた人間が非難されるのは当たり前なのです。そして、この件で逆にいままで何事もなく普通に暮らしていた車椅子ユーザーが萎縮しなければと思います。
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