服薬でミスを犯すととんでもないことになりますが、ミスをする人物には偏りがあると考えてます。ではなぜミスを犯してしまうのか。2つの原因をあげます。
自分は悪くないという考え
服薬させる側にの深層心理に「自分は悪くない」という考えがあるからです。
薬のセットと服薬させる人は基本的に別な人が行うのが原則的なルールです。
そうなると、服薬する側はどうしてもチェック機能が薄れがちです。
声出し確認するときも「Aさん、6月1日 朝食後」と言いながら実際は見てないで行う。
それどころか声出しも行わない。
なぜなら、「セットした人間がチェックしてるんだから問題ないでしょ」と。
これでは100重にチェックしても意味がないですね。

過去の例
過去にもある方が昼食後薬を朝食後に服用させるという事故がありました。
その方は「やー、ちゃんと見てくださいよ」と自分に非はないという言い方でした。
管理者がその発言を耳にして確認したところ以下の事実が判明しました。
- 利用者に服用させるチェックリストを確認していない
- 声出ししていない
- そもそも利用者の名前と顔が不一致だった
恐ろしいことに、その方が服薬を行って1ヶ月以上経っての事実でした。
配薬する以前の問題だったのです。結果、その方は別な業務を対応してもらいました。

ハプニングに対応できない人
もう一つの原因はハプニングに対応できない人です。
食事を取り服薬して終わり。毎回これなら助かります。
しかし、利用者、ようは人間を相手にしてるので、パプニングが起こっても仕方がない場面が多数あります。
喉をつまらせる利用者、いきなり車椅子から立ったりする利用者…と何が起こるか不明です。
先日も利用者がご飯を食べる食べないで対応している際に、別の利用者の薬を置いたままにして、別の薬を別の利用者に服用させてしまったということでした。
これまた管理者が聞き取りを行った結果、以下の通りだったそうです。
同行時にはそんなことは起きなかったから、もう少し同行をつけて欲しかった。
残念ながら、その日その時に何が起きるかはまったく予想出来ません。
ハプニングが起きるまで同行をつけてもこの方は対応できないでしょう。
失敗と書いて成長と読むは…
ミスは起こりますがミスを起こして仕事をする人はいません。
ただし、自分は悪くないという考えではいつまで経っても成長はできないです。
故・野村克也さんは自書の中で「失敗と書いて成長と読む」と謳ってました。私は半分正しく半分間違えで、失敗を振り返り自分の中に糧に出来た人が成長できるになります。
私も誤薬をしたことがあります。頭の切り替えは難しいいものがありましたが、糧にしたおかげで今があると考えています。

コメント