ツイッターをするようになり色々と検索したりして見ていると、
時々、介護施設に対して批判的な言葉が出てきます。
介護関係以外やこれから介護サービスを使おうとしている方々が
「どうも入るのは…」と否定的になったりするのはわかります。
ただ、介護職の方が親の仇ぐらい憎たらしいぐらいな発言をするのは何があったのかなと。
他所を陥れ自分の介護施設を上げる
よくあるアピール方法で、自分>他人としたい場合、「あの人は時間にルーズだよね。その点俺は10分前には目的地についてるよ。」という他人を陥れ自分を持ち上げる方法を使います。
こういう感じで、介護施設で働くと「職員としての動きが…」「施設の色に染まって…」という感じで語り、暗に「私のところは介護施設ではありませんよ」、「職員の動きはいいですよ」とアピールしたいのではと考えます。
しかし、自分たちは「施設」でなくても、利用者がどう判断するかです。
「終の棲家」と感じれば「終の棲家」、「次は住みたくない場所」と思えばそうなるわけで、介護職側はあくまでもアピールしているに過ぎませんので意味ないことです。
自由をアピールするために利用する
介護施設だと、どうしても基本的には施設が住む場所のため、移動する範囲が限られます。利用者によっては外出できない人もいます。自由がないです。
しかし、利用者によっては住む場所を終われ、そこにすまざるを得ない利用者もいます。
それを知ってか知らずか介護施設だと自由がないと、うちは自由がありますというのはいかがなものでしょう。
そもそも、人間は自由なようで自由ではないです。
極端なことですが、食事時に最初っから用意されていなければ食べたいものが出てくるわけではないです。コンビニ、スーパーで買う、自分で作る、食べに行くで初めて食事ができます。
食事の選択肢がある自由は、逆に目の前には食事がない不自由から生まれます。
利用者が介護保険サービスを使うのは、利用者自身が何らかの不自由があり、
それを介護サービスを使って補うためです。
その時点で自由ではないのに、施設=不自由と決めつけるはよくない考えです。

施設という言葉を使いたくない
利用者と介護士、この関係で介護は成り立ち、他の職種が携わりネットワークのような形になります。
しかし、この「利用者と介護士」という垣根を取り払いたいから施設という言葉は嫌だみたいな風潮があります。
そして、垣根を取り払う=友達みたいな関係のような表現も見られます。
しかし、上記で述べたように「介護保険サービス」があって成り立つものなのに、友達とはいかがなものでしょう。
介護以前の問題です。友達を作るサービス業みたいな目指すのはそれこそ自由ですが、介護とは別の事業です。

まとめ
介護はサービス業です。
他社と差をつけるためサービス内容に少し内容が異なります。
これは資本主義社会の原則です。
しかし、介護施設という言葉、建物、職員が嫌だからといい、介護とはあらぬ方向へ進んでは介護ではないです。
目指す介護が異なる、自分のところが優れている等、自分たちを持ち上げるのは構いませんが、他社を蹴落としてまで「うちは優れている!」的な発言をするのはやめていただきたい。
正直、逆効果な心象を生むだけです。
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