人は自分の価値観が重要とか、個性が重要とか言いながら、高級ブランドを身に着け、高級車に乗り、高級レストランで外食をして自己アピールに努めたり、自社の優れた部分を押し出すために他社を陥れる発言をしたりと。
この比較をする比較論、これを使う場面とそうでない場面、また使って失敗する場面についてです。
比較論を使う場面
モノの比較をする場合は企業の商品とかが一般的でしょうか。
例えばコンパクトカーを購入する場合、A、B、C社それぞれに強み弱みがあり当然、各社はそれぞれ強みを強調したカタログを発行して営業は想定問答を用意して消費者にアピールします。他社に対しては陥れることなく、違う面を強調してできるだけいい印象を残し購入してもらいます。
他人との比較の場合、私は最初にスポーツ関係が思いつきます。
例えば、野球だとA投手とB投手どちらが優れているとか、昔のC投手と今のA投手だとどちらが上だとか。落合元監督と原監督だとどうだとか。不毛な論争になりそうなネタが満載しています。
また、芸能人でもAさんがいいBさんがいい、アイドルグループの中で人気投票をして盛り上がりを見せたりという手法もあります。

比較論の行き過ぎ
この比較論、いき過ぎるとマウント合戦になります。動画、SNSで「こんな人は幸せになれない」「こんな人は不幸になる」と。それこそ、怪しい商品を売りつけてくるような人と付き合えば不幸にはなるでしょう。

「私は年収1000万稼いでるけどあなたは介護業界で大変そうね」とか、「私は資産1億円もってます」とか、なにかと他者と比較したがりますが、ほぼほぼ無意味でしょう。
稼ぎは稼いでいるほど使えるお金も増えますが、支出が収入とイコールであれば意味ないですし、「資産XXもってる」は、言うだけなら誰でもたくさん持っていると言えます。
意味のない比較論は時間のムダでしかないです。怪しい商品への誘導と思ったほうがいいです。
失敗する比較論
比較論を使う場面で一番していけないのは「自社の優れた部分を押し出すために他社を陥れる」ことです。
実際に体験したのは、新車購入時にトヨタディーラーの系列店A社で「え、(系列店)B社の車を買うんですか?辞めたほうがいいですよ。デザインは古臭いし中身もたいしたことないですから。」と同じ自社の他系列店の車をディスりまくるという内容でした。
正直、この営業さんには悪印象しかなかったです。しかも、名札には「部長」と書いてありました。何年来もやってきてそれなりの地位についた方の売り方で、私の判断はこのB社の車は候補から外れました。いいものを作り販売したとしても売る側の何気ない発言で悪印象しか残りません。
介護でもたまにSNSで利用者が「施設にいれられて不自由な生活を強いられている」等の発言を投稿すると、「そこの施設は牢屋だ」と過激な言葉で挑発し、あたかも自分たちは自由な生活をさせている場所とイメージを作り上げて優れていると誘導する手法をとる人もいます。
しかし、介護サービスは利用者ができないことをできるだけ解消させようとするサービスであって、打ち出の小槌のごとく万能サービスではありません。従い、施設で生活をする時点で酷な言い方だと「自分の生活をできるだけ提供する」長所であり、「今までできた生活の一部ができなくなる」という短所なのです。
それをわからずに経営者側が陥れる発言をするのは如何なものかと思いますし、知っていて発言をするのであれば悪徳商法の一つでしかないと考えます。

比較とは
比較とは、自分や、自社の優れた面を押し出すため他人、他社にはないものをアピールするツールとして使うものであり、陥れるために使うものではないです。そのようにして使い続ければいつしか誰からも見向きもされなくなります。
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